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「放射能について話しませんか」2012/01/13

もう明後日ですが知人の企画で、関連のビデオを見たりして放射能の影響について話してみましょうという集まりがあります。放射能については情報はあふれています。しかしまるで相容れないような「専門家」の話があったり、ほんとのところがよくわからない。みんなで考えたり、話したりすれば少しは疑問や不安が整理できるかもしれません。

詳しくは画像をクリックして拡大してご覧ください。

あけましておめでとうございます2012/01/01

あけましておめでとうございます。またずいぶんと間が開いてしまって久々の更新です。お世話になった皆さん、出会いもあり別れもありました。すべてに感謝し、また今年もよろしくお願いします。

それにしても昨年ほど気持ちのやり場に惑った年もありません。このどうしようもない現(うつつ)にたぶんいくばくかの責任を取らねばならない年齢なのだと思い知らされます。3.11から時間がたつほどに悔しさと無力感にからめ取られそうになるのをだましだましやっと年を越しました。

入間の茶畑

画像は家からそう遠くない入間市の茶畑です。ここも原発事故の影響を直接に受けました。お茶屋のtatsurouさんは「どう途方に暮れてよいかもわからない」と嘆いています。何も終わっていません。こんな詩を見つけました。

新年

新年來り
門松は白く光れり。
道路みな霜に凍りて
冬の凜烈たる寒氣の中
地球はその週暦を新たにするか。
われは尚悔いて恨みず
百度(たび)もまた昨日の彈劾を新たにせむ。
いかなれば虚無の時空に
新しき辨證の非有を知らんや。
わが感情は飢ゑて叫び
わが生活は荒寥たる山野に住めり。
いかんぞ暦數の囘歸を知らむ
見よ! 人生は過失なり。
今日の思惟するものを斷絶して
百度(たび)もなほ昨日の悔恨を新たにせん。

萩原朔太郎 「氷島」 1934 から
漢文調ですんなりとは読めませんが響くものがあります。

今年もやるべきことできることから倦まず弛まず、頑張りすぎずに行きたいと思います。

ミル君福島へ帰る2011/11/12

12日ミル君を福島に連れて行きました。


福島では車が嫌いだったミル君。置いていかれると思うのか自分から車に乗るようになってどこにでもおとなしくついてきます。


でも今回は小屋まで車に乗せてどこに行くんだろうか。途中のパーキングエリアでは不安げな表情です。

何棟もある木造の仮設住宅の一部が動物が飼えるようになっているそうです。


さぁ着きました。思わず抱きつく飼い主のKさん。前に我が家で会ったときとはミル君の喜び方が違います。お孫さんも心待ちにしていたそうです。


どうぞKさん御夫妻としあわせに。元気で...また会おうね。

福島県玉川村の保護拠点からミル君を預かってきたのが、事故から1ヶ月の4月10日、ブンと呼んでたけれど5月9日に飼い主さんがわかりのべ7ヶ月。病気も怪我もなく無事お返しすることができました。複雑な気持ちだけれど、Kさん御夫妻と一緒にいるミル君を見てあらためて家族としての動物の存在の大きさに気付かされました。

福島ではまだ何も終わっていません。ミル君を保護した「東北地方太平洋沖地震犬猫救援活動」 は現在進行形です。御支援をよろしく。

散歩大好き2011/11/10



甘やかしてすっかり甘えん坊になってしまったミルです。
散歩大好き。リードをつなぐだけで飛び跳ねて喜びます。


いつもの霞川沿いの散歩道、7ヶ月なじんだこの風景とももうすぐお別れです。



あぁ、殺されちゃった2011/10/22

カダフィが追い詰められ殺されてしまった。捕らえられた時点では生きていたようだが。生々しい映像には「生かしておけ」という声が聞こえるが何がカダフィの命を奪ったのかはわからない。

同じようなことは歴史上いくらでもあるし、戦争や内乱でゆえなく殺された人はそれこそ数え切れないのだけれど、非道の独裁者を殺して歓声を上げて喜ぶというのは、その気持ちがわかるにしてもざらっとした気分がしこりのように残る。オサマ ビン ラディンが殺されて喜ぶアメリカ人たちを見た時はもっといやな感じだった。聞いた話では9.11の現場であるニューヨークの住民たちは冷ややかにそれを受け止めていたそうだ。あんなむちゃくちゃな話はないがアメリカを断罪すべきだという声はあまり聞こえない。

死刑というのは裁判で一応もっともらしい理屈をつけて裁可されるのだけれど、その犯罪はだいたい殺人、それも複数の人命を奪ったというのが条件だったりする(刑法では他にも死刑になる犯罪があるが)。それはいかなる理由があろうとも人を殺めてはならないということを前提としているが、その過ちを犯した人間は殺めてもよいというのが死刑制度だ。

これって矛盾してるよね。死刑存置論者には答えてほしい。なぜ人を殺めてもよいのか。なぜ法務大臣はひとを殺せるのか。

思う人。辺見 庸さんの講演2011/10/10

今日は世界死刑廃止デーだそうだ。8日に神楽坂で開かれた「響かせあおう 死刑廃止の声」という記念集会に行って来た。辺見庸さんの講演を聞いた。定員400人ということだったが入りきらずにロビーやラウンジでディスプレーで見た人も多かったようだ。

「死刑はそれでも必要なのか──3.11の奈落から考える」 辺見庸さんは少し足を引きずるように登壇されたが、およそ1時間40分あまり、その声は集まったすべての人にもれなく言葉が届くように静かだが力強かった。

自らのブログにこの3.11後の初めての講演にあたって 「黙示録的な地震と大津波、原発炉心溶融という惨禍のただなかから、この国が保持しつづける死刑制度の本質と非人道性をあらためて問いなおします。あわせて、3.11とはいったい何だったのか、世界史上どのようなメルクマールなのか、恐慌下の現在と近未来になにが立ち現れようとしているのか・・・を語り、ことば・思想・階級間の死闘のゆくえについて考察します。」と書かれている。

何とか私のとぎれとぎれのメモから講演要旨を書き起こそうと思ったけれど、とても生の言葉には届きそうもなく私の余計な解釈が入るのはなお問題が多いので、ここはずるをしてリンクをひとつ。

yosimineさんの「治療・病状日誌-世界死刑廃止デー企画 響かせあおう死刑廃止の声 2011」→http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1107.html  

この記事を読んでいただければ何も付け加えることはない。それにしても辺見庸という人の思索の深さを思う。小説家とか思想家とか批評家というのではない、一番近いのは詩人だろうか。講演の中のエピソードにある身を貫く「思え(想え)」という言葉、そこにとどまるということ、思う人と呼ぶのがふさわしいのかも知れない。

3.11以前の日常を取り戻したいというのは特に被災者にとっては切実なものだろう。しかし為政者や経済界は、まるで3.11をできればなかったことにでもしたいという意思がありありとしている。あるいはこの非常時を利用して、これまで踏み込めなかったところに踏み出そうとしているように見える。たとえば原発(核技術)が抑止力になっているなどという言説がほとんど批判にさらされることなくスルーされ、一方で秘密保全法制などという情報公開を恣意的にコントロール、漏洩者には厳罰を科すような法制が上程されようとしている。「がんばれ日本」「日本はひとつ」などという「言葉」の向こう側で「すり足で 下りてくるものがある」。

その病理は革新も反原発も死刑反対も関係ない。私は先の反原発のデモの際に10歳にも満たない女の子が「わたしもこどもを生みたい」というプラカードをかかげていたという話を聞いた。おそらく親が誘導して書かせたものだろうが、それがたぶん福島というだけで産物や車両を拒絶する過剰反応や、広島、長崎の被爆者、ハンセン病、水俣病、また障害者への差別の構造に通底するものだとは親は露とも思っていないのだろう。

元の記事が見つからないのだが、ベラルーシだったろうかある病院で先天的な異常や障害を持つ子どもたちを見て取材者が言葉を失っていると、そこの医師がこう言ったそうだ。「どうかこの子達を祝福してあげてください」。生への無条件の肯定こそが今必要なのではないか。

吉留要さんの絵2011/10/02

一昨日銅版画の田代先生から、近くの民家を改装したギャラリーでグループ展をやっていて、87歳になる画家が大作を出していてすごくいいからぜひ見てほしいとの電話。

その絵は畳敷きの部屋の奥のふすまの前に置かれている。そのふすまが隠れてしまう大きさもさるもの、その密度に圧倒される。まるで世界がそこに飲み込まれているかのように見える。3年ほど描きついで来たというその絵が、非常な実在感を持って迫ってくる。そこには近現代の人の営為とその行き着いた果て、大震災という人為の及ばぬ力も込められているようだ。

吉留要さんのお名前はまったく知らなかったが、60年代にブラジルに渡りシュールレアリスムの流れでその後世界で活躍されていたそうだ。今日はブラジル時代を中心に一時間半ほどのお話があり、日系の作家の活躍や、ブラジルの作家との日本的感性の対比など興味深い話が聞けた。

それにしても87歳にしてこの力。私の母と同い年、母も元気だがそういえば母の同級の野口みさおさんも熊本で絵を描き続けている。この春宇城市の不知火美術館で代表作による個展を開かれたそうだ。

戦争も戦後の混乱も乗り越えて一筋に生きてきた強さか。

祝・成田光房移転2011/10/01

成田光房が本郷から湯島天神近くに移転したとの知らせをいただいて、行かなければと思っていたら移転記念・井川 正之展の案内が届いたのがひと月ほど前。今日が最終日じゃないか。

本郷3丁目から自然環境研究センターがまだ野生生物研究センターだったころ、20代半ばくらいかよく通った道を東に進んでいく。見落としそうな路地を入ったところに移転した成田光房はあった。前の光房もなかなかの趣だったがこちらもなかなかのもの。取り付け道路が狭くて開発しようがないといった一角、まわりも空き家ばかり。

内装をがんばって手直ししたという新光房はけっこう居心地がいい。南側の塀の向こうが駐車場なので日当たりもよい。捜せば東京でもこんなところがあるのだ。

井川 正之さんの作品が玄関から所狭しとかけられている。もちろんすべてモノクロームの銀塩写真である。いいなぁ。もう暗室の技を丁寧に伝えようなどというところはここぐらいしかないのか。

で、帰りに湯島天神でパチリ。10年物のデジカメで撮りました。

静かな日2011/09/27

昨日、今請けている仕事の一部を納品して、残りも急ぐ必要もなさそうなので、今日はすこしデスクワークを片付けてと。

先日の台風でテラスの波板が飛ばされてしまったので丈夫なポリカーボネートの波板に張り替える。飛ばされた4枚のうち3枚半は暴風雨の中よそに飛んでいく前に回収したが割れて飛んだ半分だけは行方が知れない。もう何年も前に張り替えるために材料は買っておいたのに...。飛ばされるまで直さないのだからのんきなものだ。

玄関脇の彼岸花、2年でずいぶんと株が増えた。ミルが来てから散歩が日課となって、花韮(ハナニラ)がそこここに植わっているのを見つけたが、この辺ではあまり食べないのか誰も採らずに花が咲くにまかせてある。霞川の土手でも今彼岸花と花韮が見られる。

hidekoは母親の介護に実家へ行っている。静かな日。

デモの前に2011/09/20

昨日は明治公園に行く前に六本木の国立新美術館で新制作展を見ました。

FSC彫刻シンポジウムの展示コーナーでファンさんの作品を見て、3階に行こうとエスカレーターに乗ったところで、ファンさんに遭遇。hidekoも一緒に会えてよかった。ファンさんのギャラリートークは午後からなので会えないかなと思っていたのにラッキーでした。

一緒に3階の特別展示で後輩の細田修巳君の作品などを見たあと、再会を約して(ボリビアで!?)会場をあとにしました。

画像は細田君の作品。彼の作品はほんとに久しぶりに見たのですが、陶の質感を生かしたなかなかの力作でした。