かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう2005/10/10

昨日書いたことを読み直すと、書き直したくなることもしばしばだけど、入力ミスや明らかに間違った表現以外は直していない。煙草については「俺は俺」と言えるほどの意志もなく、ちょっとした喫煙に対しての注意にさえ、敏感に反応し、そういう自分をまた嫌悪もした。まだ出かけたとき、人前ではその気持ちを納めておくことができるが、家の中ではそれが剥き出しになるようで恐かった。それで鬱病になってしまった人の話も聞いて昨日の様なことを書いた。それと喫煙をしながら昨日の様なことを書いたらひとはどう受け取るのだろうか。どうしたってかっこ悪い。

新聞の読書欄に岸田秀さんの「唯幻論物語(文春新書)」について『(この本は)著者の強迫神経症と鬱病の原因を自ら追求していく物語である。「自分がいかに卑屈であるかを理解すればするほど客観的には卑屈でなくなる」「卑屈な者のみが傲慢になるのである」という分析に納得した』とある。この抜書きだけからでは何もいえないが自尊と卑屈ということ、そんなことを鬱々と考える。かっこ悪い。

フロイトもユングもよく理解できなかった人間に岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」は目から鱗ものだった。そしてこの書評を書いているのが早川義夫さん。知る人ぞ知る幻のバンド、ジャックスのボーカル。彼のバンド解散直後の1969年のソロアルバムが「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というタイトルで、それをそのまま受け取ればかっこつけてる奴(関西で言うええかっこしい)のほうが実はかっこ悪いということか。それより世間の価値を反転してみる視線が「かっこよく」て、私はいまだにこのフレーズを呪文のように唱えている。どう逆立ちしてもかっこ悪い自分や、それでもかっこつけたがってしまう自分を自分で受けいれ認めてやるための呪文です。

唯幻論物語、読んでみます。早川義夫さんはあのかっこ悪いストーカーソングの名作「サルビアの花」の作者です。1994年に 「この世で一番キレイなもの」でカムバック。HPは http://www15.ocn.ne.jp/~h440/

コメント

_ くどう ― 2005/10/12 11:01

タバコをやめて一年三ヶ月。最初の八ヶ月は一本も吸わなかったけど、特に何の御利益も感じなかったので、たま~にチャンスがあると吸ってます。
「禁煙セラピー」と言う本を読んで、あっさりやめました。三十年近くハイライトを毎日欠かさず二箱吸い続けました。 
あんな物は、赤塚さん、どっちだっていいですよ。嫌がる人の前や、吸っちゃいけない場所で吸わなければ、そんものあーた、他の奴にとやかく言われる筋合いじゃありません。どっちにしても「程度の問題」ですよね。 
 
松田道夫さんの「育児の百科」の中に、「タバコ一本分のニコチンは赤ちゃんにとっての致死量だが、タバコを食べて死んだ例を私は知らない。吐き出すからだ。」と書いてあります。 
 
銅や真鍮に付く緑青が、随分前に「毒物」から外されたそうです。600gが致死量だそうです。考えてみたら、一体誰が、一度に600gの緑青飲みますかね。水だって1トン飲めば死にます。 

建築の外壁材料のカタログに、「ノンアスベスト」と載るようになったのは、もう15年も前からです。いろんな物をよく調べもせずに使って、わかってからもほったらかしにしていたんですね。  
 
「脱化石燃料」・・確かに!しかし、それに変わる、例えば電気自動車のバッテリーは、どんな素材で出来ているのでしょう。その素材は、どうやって生成されているのでしょう。それらの安全性について、どこにも、何にも書いてありません。 

近頃は、マーガリンも駄目だそうです。 
我が家の冷蔵庫の、箱に入ったままの「ラーマ」はどうした良いのでしょう。 
 
昨日の夜、NHKの教育に立川談志が出ていて、「鯨を殺しちゃいけないって言う国が、人は殺して良いって言うんだから・・」と言い、ぺろっと舌を出していました。  

なんだか、ただのぼやきになってしまいました。 
 
ユング、フロイトは勿論、ハイデガーもフッサールもウィトゲンシュタインも良く理解できなかった僕は、やっぱり「ものぐさ精神分析」で岸田秀を読んで、眼から鱗の口です。・・で、あの人、ここではちょっと言えないようなことも、いろんな著書の中ではいっぱい言っていますよね。 

「かっこいいことは、なんてかっこ悪いんだろう。」 
マザーグースの「きれいは汚い、汚いはきれい」みたいですね。 

いつも、このブログの更新を、本当に楽しみにしています。がんばってくださいね。
 

_ でくあん ― 2005/10/12 23:04

コメント、ありがとう。そうなんです。別に深刻に考えることなんかないんです。ただ最近の何か弱いところや欠点を見つけるとすべてを否定するように攻撃的になる部分(昔からあるのですが)が、へたをすると何の検証もされずに社会的正義のように語られることに危機感をもっています。これは右にも、左にも、人権運動にも、環境運動にもどこにでもあります。政治、大衆とはそういうものだといえばそれまでですが。

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