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「蟻の兵隊」の上映会があります2007/02/15

前に見に行きたいと書いた「蟻の兵隊」が所沢で上映されます。池谷薫監督と主人公である奥村和一さんのトークがあります。DVDというのが残念ですがこれに行かぬ手はありません。

「蟻の兵隊」映画上映とトークのつどい

日時:2007年2月17日(土)午後1時30分開場 2時開会

場所:所沢・小手指公民館分館ホール(西武池袋線小手指駅下車7分)

トーク:池谷薫監督・奥村和一さんのトーク

入場料:1200円(前売券1000円)

前売り満席の場合、当日の入場をお断わりすることもあります。予めご了承ください。先着250名。DVDでの上映となりますのでご了承ください。

<主催>マスコミ・文化 九条の会 所沢

私たちは上官の命令に従い、蟻のようにただ黙々と戦った。軍の命令で1945年8月の敗戦後も、中国で戦った人たちがいた。国民党軍の一員として残留兵2600名は、中国共産党軍と戦い、そのうち550名が戦死した。戦闘で重傷を負った奥村(現在、82歳)は、6年間、捕虜生活を送り、日本に帰ってきたのは戦後9年も経ってからである。「自分たちは、なぜ残留させられたのか」。戦争の被害者であり加害者でもある奥村の、真実を明らかにするすがたを追う。

3月25日には所沢市民文化センターミューズでも上映されます。こちらは今年7年目の「ミューズシネマ・セレクション 世界が注目する日本映画たち」で、ほかにも魅力的な映画がいっぱいです。

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_ 試稿錯誤 - 2007/05/30 12:49

                                                               
本日、2006年、5月24日、映画『蟻の兵隊』の試写を観た。
映画『蟻の兵隊』のhpアドレスは下記の通り。以下必要に応じこのhpから引用させてもらう。本記事に添付した画像はすべて  有限会社蓮ユニバース からの提供である。http://www.arinoheitai.com/index.html
この映画は元残留兵、奥村和一の現在と過去を提示する。奥村和一は、15歳で少年兵として徴用され、中国大陸山西省で中国軍と戦った。中国軍と、というが実際に殺戮したのは無辜の農民である。いまでも、最初に突き殺した場面を夢に見る。にらみ返す農民に目が向けられずあらぬ方向を向いて突き刺す。何度付いても急所、心臓を刺せない。上官が怒鳴る。あたりでは、日本兵が農民の首を、剣で叩き切っている。
日本政府が 国体護持(昭和天皇の死刑を免れること)を条件に連合国が7月につきつけたポツダム宣言を受諾したのは昭和20年8月14日のことだ。しかし、中国山西省にいた陸軍第一軍の将兵59000人のうち2600名は、残留兵として居残り、当時共産軍とたたかっていた国民党系の軍閥に合流して戦い続けたのである。なぜ、こうなったのか?
当時(戦争終了後)、「戦犯」であった軍司令官が責任追及(戦犯として)への恐れから軍閥と密約を交わして「祖国(日本)復興」を名目に残留を画策した、と主張した。実際は、残留兵を残しておのれらだけまっさきに日本に帰国してマッカーサーにすり寄ったのである。
残留兵として戦って、捕虜になった奥村は昭和23年人民解放軍の捕虜になり、中国国内で6年あまりの抑留生活を送る。故郷新潟県にもどったのは、昭和29年のことであった。終戦の翌年、彼の軍籍は抹消されていた。日本政府は、「残留兵はみずからの意志で(すなわち軍の命令でなく)残り、勝手に戦い続けた」と主張したのである。なぜか。そうしないと、ポツダム宣言に違反するからである(武力放棄、戦闘行為の終了が一つの条件であった)。奥村等13名の中国残留兵は、軍人恩給の支給を求めて困難な裁判闘争に入る。東京地裁に提訴するも、2004年4月敗訴、2005年3月の二審でも敗訴。2005年4月に生き残った5名が最高裁に上告している。裁判闘争中、4名が死亡した。
奥村は個人で裁判の証拠文書...