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訃報 小田実2007/08/02

参院選の翌日30日、小田実が亡くなった。遺言ともいえる「中流の復興」NHK出版を読んだ。

小田実の「何でも見てやろう」を読んだのは中学のころだったと思う。その目つきというか、なんにでも喰らいついていく迫力に圧倒もされ、鼓舞もされた。実際にベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動にも頭を突っ込み、そのとき独立した個人(市民)が自らの意思を持って表現するという、本来は当たり前のはずのことを実感したのが今の私の社会的、政治的なスタンスにつながっている。

一言で言えば組織ではなく運動、意見を表明する個人(市民)の集合ということだろう。この「中流の復興」の中でも市民からの政策提言の基調はそこにある。今回の参院選の結果と今後についてはあらためて考えるとしても、政党政治が破綻した今、最も有効な手段を示している。それは討議デモクラシーという方法(「市民の政治学」篠原一)にも通じる。

今、鶴見俊輔(彼もベ平連の中心にいた)の「たまたま、この世界に生まれて」を読んでいる。私はアナーキストだと言ってはばからない鶴見俊輔のプラグマティズムは運動の哲学と言ってもいいだろう。そこに小田実の言う虫の視点、「虫瞰図」的発想を重ね合わせることができるし、それは世界を反転して見る視点だ。少なくとも安倍晋三的発想の対極にあるだろう。

小田実はベ平連当時の「殺すな!」という呼びかけを、何年か前に「殺されるな!」と言い換えなければならないと言った。その言い換えがこの数十年に起こった世界の変化を如実に表している。

たぶん亡くなっても小田実という思想は今を照らし出す手がかりであり続けるだろう。合掌。

作家 小田実のホームページ

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_ 試稿錯誤 - 2007/08/19 17:44

                                                
                                   
 
小田実逝く。2007年7月30日深夜2時5分。都内の病院で。
小田実が末期癌であることは今年初めだったか何かの媒体で知った。1ヶ月前には朝日新聞夕刊に小田の病状、日々考えることを短期連載していた。この死は予期された死であった。
 中学生か高校生の頃、わたしはまだ広島の郷里で過ごしていた。その頃、河出ペーパーバックで『何でも見てやろう』を読んで以来、これまで小田の本はもっともよく読んだ本のひとつとなった。じつは『何でも見てやろう』は、その時以後再読していない。(最近、ムスメに読ませようと講談社文庫版を買ってきてやったのだがトント興味を示さない)小田が<先天的無頓着症>をひっさげて、フルブライト奨学生試験に受かり米国から欧州アジアを周回してニッポンに戻ってくる間のこの旅行記はまだ海外を全く知らない田舎の小坊主のワタシには圧倒的な面白さであった。小田はその頃東大生であったはずだが、英語はまったくのブロークン。しかし、フルブライト試験(米国大使館で行われる)を受けたときその物怖じしない、ブロークンな回答が圧倒的に面白く,小田が大使館の一室で試問を受けているとき、その部屋は小田の評判を聞きつけた大使館員が珍答を聞き逃すまいと、鈴なりの賑わいだったという。
小田は大学でギリシャ語を専攻した。ある世界文学全集のギリシャの巻、ホメロスだったかを小田が訳す、という予告がなされたことがある。大いに楽しみにしたのだが結局実現せず、呉茂一(小田の恩師のひとり)の既訳におさまった(小田の弁解を読んだ記憶がある)。小田がなぜギリシャ語を専攻したか?はよくわからない。十代で文学を志し、当時の新進作家=中村真一郎に師事した小田実が、中村から「(中村本人はちゃっかりフランス近代文学をやっているくせに)大学で近代文学をやるなんてアホやないか」とけしかけられてギリシャ語を始めた、らしい。
 
 小田実全仕事 全10巻(河出出版)1970~71
 
ソクラテスを描いた小田の初期の長編『大地の星輝く点の子』の注釈で、ギリシャ語をはじめた理由をつぎのように述べている:
「。。。やはり西洋のもろもろのミナモトのところを知りたく...