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死刑・冤罪・裁判員制度 12009/06/23

「愛と痛み」辺見庸

17日の朝日新聞に辺見庸さんが死刑について「犬と日常と絞首刑」という長文の寄稿をしている。

死刑廃止をEU加盟の条件としたヨーロッパ諸国。その宣言から「いかなる罪を犯したとしても、全ての人間には生来尊厳がそなわっており、その人格は不可侵であるという信念に基づく。これはあらゆる人にあてはまることであり、あらゆる人を守るものだ。有罪が決定したテロリストも児童や警官を殺した殺人犯も例外ではない。暴力の連鎖を暴力で断ち切ることはできない」「死刑は最も基本的な人権、すなわち生命にたいする権利を侵害するきわめて残酷、非人道的で尊厳を冒す刑罰なのである。」をひいて欧州好きの日本人はどう反論するのか、日本の司法と世間はこれをせせらわらうのだろうか と、問うている。

「おのれの”苦悩容量”をこえる巨(おお)きな悩みや悲しみをわれわれは無意識に<なかったこと>にしてしまう傾向がある。」「表面はいつに変わらぬなにげない日常になじんでいる死刑という国家的儀式」は「日本の文化や思想、社会真理の基層にまで融けこんでいる」。

日常から説き起こし日本がこの古い刑罰を過去のものとすることの難しさを語り、またその風景を日常からふりかえり「日常がこれでよいわけがない。そう自答する。」と締めくくっている。

凶悪事件が起こると容疑者を極刑にせよと大合唱し、死刑制度を7割から8割が支持するこの国の風景のなかに、無期とはいえ再審の方向で釈放され県警本部長が謝罪しただけで「許す」といってしまう菅谷さんがいる。あの芝居がかった本部長の謝罪が心に響いてしまうほど権力の闇が深かったということだ。

この国では代用監獄の取調べから刑に至る道筋の不可視とともに冤罪(痴漢もあれば選挙違反も交通事故もある)があり、視えないものは<なかったこと>なのだ。州によって違うが日本同様死刑存置国のアメリカでは証拠品の完全な保存とDNAの再鑑定を進めた結果、100名を超える死刑囚の冤罪があきらかになり釈放された。

裁判員制度が始まる。上記のような状況が改まらない限り私はこの制度に反対だ。しかし始まった以上私たちはそれに向き合わねばならない。どう向き合うのか。

※参考:アムネスティー他の死刑廃止キャンペーンサイト

画像は辺見庸「愛と痛み-死刑をめぐって」2008年毎日新聞社

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