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熊本地震遭遇記 4月15日朝まで2016/04/15

 日付が変わってまたガンッと揺れる。大きい。0時3分、震度6強(M町では6弱)。仏壇がまた飛ぶように倒れる。どうするか、母を連れて家を出るか、公民館?車の中?外の様子を見てもそんなに立て込んだ地域ではないが、近所の人の姿も見えない。家は大丈夫そうだ。母は「あんたがおってくれたけんほんとよかった。こぎゃんこつは初めてよ。ひとりだったらどぎゃんしてよかか、パニックたい。」というようなことを何度も言っていたような...気がする。

 この時の震源は家から東北東に2.7キロしか離れていない。深さが10キロくらいだからほとんど震源の真上だったとわかったのはずっと後になってからだ。

 もう老母を連れてまだ冷え込む外に出て右往左往するよりここにいようと覚悟した。もう一度家の中を見回り、母にも貴重品、履物、上着、ちょっとした着替えなどを枕元に置くように言って、私も毛布や、飲み物を探して4畳半に集めた。テレビでは断片的、局地的な情報を繰り返している。横になる。記録だと1時53分にやはり直下の震源で5弱の揺れがあったようだがあまり覚えていない。明日何とか片付けよう。休もう。あまり眠れない。

         倒れた仏壇(4月15日0時26分)

 午前0時から朝9時まで 震度6強1回、震度5弱1回、震度4 7回、震度3 14回。
一度強い揺れを経験するとやはり慣れるのである。ただ震度5弱と6強では次元が違う。さらに7というのはどんな揺れか、益城町の惨状を見ればよくわかる。震度5と6には弱、強とあるがこれは5、6、7、8と表した方が体感に近いだろう。

 やっと外が白み始める。九州の朝はおそい。

熊本地震遭遇記 4月14日2016/04/14

 熊本のM町に暮らす母は今年92歳になる。昨年の酷暑には軽い熱中症か?というようなこともあり、一人が気楽といい文字通りの晴耕雨読の日々だがさすがに弱気になることも多くなった。この正月に帰った折にもっと頻繁に帰省することを約束した。

 4月14日木曜日朝家を出るといつものソラシドエア機で2時に熊本空港に着く。レンタカーを借りて益城町のまだ麦が青い水田地帯を抜けてM町へ。家につくとまずは買い出し、ホームセンターで畑にまく鶏糞など、スーパーで刺身やノンアルコールビールを仕入れる。畑でアスパラやあしたばを収穫、年々勢いを増すように見える草。いつもついた翌日は草刈りからはじまる。

 夕食は野菜の天ぷらに天草の鯛の刺身、小アジの南蛮漬け、野菜も魚も新鮮でこれに勝るものはない。テレビを横目で見ながら母と取り留めのない話をする。話も尽きて母は台所に立って洗い物をはじめた。

 21時26分 ドン、ガガガガー、座椅子に座っていても体が揺さぶられる。隣の部屋の仏壇が倒れる。ガシャンというものの割れる音が響く。「母さん、大丈夫」叫ぶと母が這うように戻ってくる。どのくらい揺れていただろうか。一瞬停電したがほどなく回復、母には居間の座卓の下で横になってもらう。意外と落ち着いている。耳が遠いというのが幸いしているのかもしれない。何を話したかも覚えていない。

 時々大きな揺れが来る、それも今まで経験したような ゆさ、ゆさゆさといった感じの揺れ方ではなくいきなり ドン、ガタガタと来る。直下型地震なのだ。

 家の中を見回ると板の間のサイドボードの上の焼き物はほとんど落ちて割れている。母の寝室の灯具が落ち、台所の開き戸の食器棚も中身が散乱している。井戸なので電気が来ていれば水は出る。ガスはプロパンだがたぶんマイコンメーターが遮断しているだろう。家自体に大きな支障はなさそうだ。

                                 4月14日23時37分

 築23年ほどの小さな平屋で居間は4畳半、ほぼ中央に位置している。テレビ以外に倒れるようなものもないし、壁の傾いた額を下におろしておけば余震があったとしてもまず大丈夫だろう。仏壇だけは何とか元に戻した。夜だから無用に動き回るのはやめて居間に横になってテレビを見る。倒壊した家屋もあるようだが断片的な情報で全体像は見えない。古い携帯電話はあまりつながらないので、黒電話でかけてみたり、ショートメールで無事を伝えたりした。誰に連絡し誰から連絡があったかあまり覚えていない。

 最初の揺れが震度7、震度に7以上はないのだから最大震度ということだ。後で調べると益城町で震度7、ここM町では震度6弱、震源は北東に約6キロ、地下10キロだった。日付が変わるまでの2時間半の間に震度6弱と5弱が一回ずつ、震度4が9回、震度3が6回と揺れているのだ。もちろんM町でこの震度だったわけではないが。(つづく)

あけましておめでとうございます。2014/01/01

桜の頃

新しい年がみなさまにとってよき年となりますように

今年は午年、私の齢も一巡りというわけです。昨年は20年間慣れ親しみ改装を重ねてきた長屋から突然退去を求められ、転居先を探し、やっと見つけた築42年の古家を今もセルフビルドで改築中、2月末に転居予定です。

忙しさにかまけていろいろと不義理ばかりでブログも休止中ですが転居と共に新しい齢の巡りとなります。文字通り心機一転です。

世の中は筋の通らぬ話ばかりですが、危機感をもって声を上げていかねばならないとこれも気持ちを新たにしています。

          本年もよろしくお願いします。

というわけで還暦というのにじたばたしております。画像は桜の頃の我が家です。たくさんの思い出がありますがしょせんは借家住まい、20年間遊ばせてもらったと思っています。落ち着いたらブログも再開します。

しばらくお休みします2013/04/17

仕事、プライベート共にばたばたでしばらくお休みします。

雨の花見2013/03/30

稲荷山公園の桜

霧雨の中、予定通り稲荷山公園にて花見敢行!桜は満開なのだが...。寒い!

ひととき-母の投稿2013/03/27

ひととき

八十八になる母の投稿が2月19日の朝日新聞「ひととき」欄に掲載された。中に出てくる料理教室はかすかに覚えている。私のおぼろげな記憶をたどっても7人家族を切り盛りする労苦は並大抵ではなかっただろう。感謝しかない。

その頃から母は「ひととき」に投稿していて、それは小遣いかせぎだったのだと近年聞いた。朝日新聞を退社した従兄に過去の掲載を探せないものかと聞いたがとても無理な話だそうだ。いつか読んでみたいものだけれど。

松本行2013/03/26

 結局5日間現場に通って、仕事はやっときりがついた。日曜日は休んで月曜日(25日)、松本の姪夫婦と9ヶ月のあかりちゃんの新居のために表札を届けに行く。圏央道を使うと2時間半ほど。横須賀の現場よりよほど近い。

石川邸表札

 表札は楠の板に額彫り、前に作ったレリーフの残材だが木目もおもしろい。正方形なので裏に取付用のキーホール状の釘穴を2つ。

表札裏面

 この新居が建つまでには中古物件を見に行ったり、結局新築することになって、工務店の設計を私が直しに直してなんだか自分が設計した家が建ったようでうれしいのだけれど、木をもっと使うようにすすめたが結局外壁は新建材(これは防火上、法的に仕方ないが)、内装は石膏ボードにクロス張りというのがちょっと残念。

石川邸

あかりちゃんの泣き顔。おまけ。

泣くのも仕事 あかりちゃん

なんとか明日から現場2013/03/18

8to11労働を4日なんてハードワークをなんとかこなして明日は5時出で現場。それにしてもこの仕事、スタディーモデルを作ったのは去年の5月、なんで竣工2週間前にこうなるのだろうか。

元請も仕事ほしさに安く入札し、監理も最低限の人材に絞って利益を出そうとする。当然下請けには見積もりは形だけ、仕切値で仕事を出す。下請けは断れない。監理は後手後手。もう現場には人を育てる余裕などない。50代60代が一線なのだ。

現場管理だけが厳しくなるばかりで末端は疲弊している。株価が上がろうが、大手メーカーが賃上げしようがなんの関係もない。正社員の待遇をあげる前に下請け、非正規労働に回すのが筋だろう。なぜ経営者も政治家も官僚も目の前のことしか見ないで十年後二十年後百年後の未来を思わないのだろうか。

終わらない、終わっていない2013/03/12

ふってわいた仕事の量が予想以上に多くて、今日も11時まで溶接していたが予定がこなせない。終わらない。

福島第一原発が爆発したのは今日だったか。まだなにも終わっていない。

昨日は仕事の手を休め、2時46分に黙祷。尋常ならぬ揺れにアトリエから飛び出してhidekoと見た道はうねるようだったことを思い出す。

日曜日には<置き去りにされた命「ハル」>を見てきました。その様子はこちら→犬猫みなしご救援隊 栃木拠点ブログ

もう寝ます。おやすみなさい。

なかなか思うようにはいかない2013/03/09

今日は「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」に行って、そのあと錬肉工房公演 「オイディプス」に向かうつもりだったけれど、昨日今かかわっている仕事に、ふってわいたようなアクシデント。こちらには全く責任はないのだが、なりゆきでかかわらざるをえずどこにもいけない。明日の「ハル」の公演だけは見に行こう。