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「この世界の片隅で」を見る2017/01/23

先日、川越スカラ座で「この世界の片隅で」を見た。アニメだからできる「絵」としての画像と全体を貫くリアリティが素晴らしい。全てを奪っていく戦争。そして傷つきながらも生きるものというか生き残ったものの希望を予感させてくれる。

 

ここに描かれる生活を実感を持って見られるのは私くらいの年代までだろうか。なにしろ主人公のすずさんは私の母の一つ下になるらしいから。私はもちろん生まれてもいないが、小学生くらいまではまだ街に行けば傷痍軍人がそこかしこにいたし、戦争の影が少しは感じられた。

 

熊本にも何度か空襲はあって、市街地面積の30%が焼け、 被災者4万7598人、死者617人、負傷1,317人、行方不明13人と記録される。叔母、母の妹が編隊を離れたグラマンにあぜ道で機銃掃射を受けすんでのところで難を逃れたと話してくれたのはそんなに昔ではない。母は雲仙岳の向こうに長崎のきのこ雲を見たという。昨年の秋からは帰省の折はボイスレコーダーを持って行くようにしている。少しずつ母の話を聞いておこうと思っているからだ。

訃報 太田拓美2017/01/09

拓美ちゃんが死んでた。花げし舎のホームページを覗いていたら「さよなら、太田拓美さん!」などと書いてあるじゃないか。なんだよこれ。知らないよ。聞いてないよ。すぐに久田恵さんに電話すると昨年10月自宅で発見されたときはすでに亡くなっていたと...。点鬼簿に書き加えるにはあまりにも早くないか。

昨年4月、私が熊本から帰った3日後、銀座のギャラリー悠玄での個展で「光のサーカス シルク・ルミエール」アコーディオンを伴奏にした影絵が地震にくたびれた私の心身にしみいるようだった。これからはこういうアナログな表現こそ求められるなどと話もたし、5月の末には私のアトリエにも来てくれた。ご母堂が亡くなったのが少し辛そうだったがこの年齢でお互いの生活の中まで立ち入って話したりはしなかった。

   

太田拓美。出会ったのは1973年4月神田神保町の美学校。彼はすでに人形劇団ひとみ座で人形美術をやっていたので、私のような浮ついた遅れてきた反抗期みたいな軽薄さは全くなく、年長、痩身長躯のそのひょうひょうとした物腰がすでに自分の世界を持っているように見えてそしてそれは確かにずっと変わらなかった。人形劇の世界から、陶人形、切り絵、イラストレーション、影絵と自在に表現してきてこれからさらにその世界を深めていくはずだった。

                   ただただその冥福を祈るほかはない。合掌。

   

HOMMAGE A TAKUMI OHTA スライドショー                                 https://www.youtube.com/watch?v=t2rSjxyNstw

   

太田拓美フェイスブック           https://www.facebook.com/takumi.ota.50

   

花げし舎のブログ

https://hanagesisha.jimdo.com/2016/12/26/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%AB%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E5%8A%87-%E5%A4%89%E8%BA%AB-%E5%85%AC%E6%BC%94-%E7%B5%82%E4%BA%86-%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6-%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%AA%E3%82%89%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%8B%93%E7%BE%8E%E3%81%95%E3%82%93/

   

Puppet Houseのブログ           http://puppet-house.com/blog/?p=1560

   

私のブログでの過去の記事        http://dek.asablo.jp/blog/2007/07/03/                                  http://dek.asablo.jp/blog/2010/06/18/

新しい手帳2016/10/02

 新しい手帳を買った。それだけのことだけれど実は10年ぶり。10年間手帳もいらないような生活をしていたわけで、ほとんど自宅で仕事をしていてカレンダーにメモをしておくだけで間に合っていた。

 ところが実家が熊本なので地震の影響もあり、高齢の一人暮らしの母もほっておけず、熊本に帰ることが多くなった。少し長期的な予定なども考えなければならなくなったという訳です。

 ぼちぼちとブログも書いていこう、地震のことも記録しておこうと思っています。

あけましておめでとうございます。2014/01/01

桜の頃

新しい年がみなさまにとってよき年となりますように

今年は午年、私の齢も一巡りというわけです。昨年は20年間慣れ親しみ改装を重ねてきた長屋から突然退去を求められ、転居先を探し、やっと見つけた築42年の古家を今もセルフビルドで改築中、2月末に転居予定です。

忙しさにかまけていろいろと不義理ばかりでブログも休止中ですが転居と共に新しい齢の巡りとなります。文字通り心機一転です。

世の中は筋の通らぬ話ばかりですが、危機感をもって声を上げていかねばならないとこれも気持ちを新たにしています。

          本年もよろしくお願いします。

というわけで還暦というのにじたばたしております。画像は桜の頃の我が家です。たくさんの思い出がありますがしょせんは借家住まい、20年間遊ばせてもらったと思っています。落ち着いたらブログも再開します。

雨の花見2013/03/30

稲荷山公園の桜

霧雨の中、予定通り稲荷山公園にて花見敢行!桜は満開なのだが...。寒い!

ひととき-母の投稿2013/03/27

ひととき

八十八になる母の投稿が2月19日の朝日新聞「ひととき」欄に掲載された。中に出てくる料理教室はかすかに覚えている。私のおぼろげな記憶をたどっても7人家族を切り盛りする労苦は並大抵ではなかっただろう。感謝しかない。

その頃から母は「ひととき」に投稿していて、それは小遣いかせぎだったのだと近年聞いた。朝日新聞を退社した従兄に過去の掲載を探せないものかと聞いたがとても無理な話だそうだ。いつか読んでみたいものだけれど。

松本行2013/03/26

 結局5日間現場に通って、仕事はやっときりがついた。日曜日は休んで月曜日(25日)、松本の姪夫婦と9ヶ月のあかりちゃんの新居のために表札を届けに行く。圏央道を使うと2時間半ほど。横須賀の現場よりよほど近い。

石川邸表札

 表札は楠の板に額彫り、前に作ったレリーフの残材だが木目もおもしろい。正方形なので裏に取付用のキーホール状の釘穴を2つ。

表札裏面

 この新居が建つまでには中古物件を見に行ったり、結局新築することになって、工務店の設計を私が直しに直してなんだか自分が設計した家が建ったようでうれしいのだけれど、木をもっと使うようにすすめたが結局外壁は新建材(これは防火上、法的に仕方ないが)、内装は石膏ボードにクロス張りというのがちょっと残念。

石川邸

あかりちゃんの泣き顔。おまけ。

泣くのも仕事 あかりちゃん

なんとか明日から現場2013/03/18

8to11労働を4日なんてハードワークをなんとかこなして明日は5時出で現場。それにしてもこの仕事、スタディーモデルを作ったのは去年の5月、なんで竣工2週間前にこうなるのだろうか。

元請も仕事ほしさに安く入札し、監理も最低限の人材に絞って利益を出そうとする。当然下請けには見積もりは形だけ、仕切値で仕事を出す。下請けは断れない。監理は後手後手。もう現場には人を育てる余裕などない。50代60代が一線なのだ。

現場管理だけが厳しくなるばかりで末端は疲弊している。株価が上がろうが、大手メーカーが賃上げしようがなんの関係もない。正社員の待遇をあげる前に下請け、非正規労働に回すのが筋だろう。なぜ経営者も政治家も官僚も目の前のことしか見ないで十年後二十年後百年後の未来を思わないのだろうか。

終わらない、終わっていない2013/03/12

ふってわいた仕事の量が予想以上に多くて、今日も11時まで溶接していたが予定がこなせない。終わらない。

福島第一原発が爆発したのは今日だったか。まだなにも終わっていない。

昨日は仕事の手を休め、2時46分に黙祷。尋常ならぬ揺れにアトリエから飛び出してhidekoと見た道はうねるようだったことを思い出す。

日曜日には<置き去りにされた命「ハル」>を見てきました。その様子はこちら→犬猫みなしご救援隊 栃木拠点ブログ

もう寝ます。おやすみなさい。

なかなか思うようにはいかない2013/03/09

今日は「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」に行って、そのあと錬肉工房公演 「オイディプス」に向かうつもりだったけれど、昨日今かかわっている仕事に、ふってわいたようなアクシデント。こちらには全く責任はないのだが、なりゆきでかかわらざるをえずどこにもいけない。明日の「ハル」の公演だけは見に行こう。