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癩院記録―国立ハンセン病資料館2012/12/26


「癩院記録」図録

 ずっと気になっていて、調べると27日までだというので仕事をちょっとさぼって多摩全生園の国立ハンセン病資料館「癩院記録-北條民雄が書いた絶対隔離化の療養所」を見に出かけた。

 北條民雄は十代で発病、全生園に収容後創作をはじめ川端康成に見出されながら1937年24歳で結核に倒れた。その随筆「癩院記録」「続癩院記録」をストーリーにした展示である。

 常設展も充実したもので私たちの社会が生み出した差別と排除、隔離の歴史が概観できる。「らい予防法」が廃止されたのが1996年、国家賠償請求訴訟で原告勝訴が確定したのが2001年。そういえば「北海道旧土人保護法」の廃止が1997年だ。「どじん」と入力しても漢字は表示されない。そうやって差別語だと隠したところで、差別や排除はまだそこここに巣くっている。

国立ハンセン病資料館

 何度も取り上げている福岡事件とハンセン病療養所にはすこしつながりがある。死刑囚の西武雄さんは同じ絶対隔離の身であるハンセン病患者に共感し、獄中で書いた仏画を売った金で梵鐘を鹿児島県鹿屋市にあるハンセン病療養所星塚敬愛園に送っている。

 このことを含め福岡事件再審運動を支援していただいている八尋光秀弁護士の講演の記録があるのでリンクしておく。「福岡事件 講演原稿」 於:08年6月14日東京YMCA青少年センター

多摩全生園の桜並木

 資料館の横に見事な桜の巨木の並木があった。館の受付の方に聞くとこの桜並木は有名で花の頃はすばらしくぜひお出かけくださいとのこと。

古川泰龍回顧展2012/12/14

古川泰龍回顧展
 もう始まっておりますが。ぜひお運びください。

もうひとふんばり2012/09/15

先月日がな鉄棒を曲げて溶接してと書いた仕事もやっとつくりの部分はめどがついてきた。ほぼ1ヶ月土日もなしだったので出口が見えたとたん、すでに納めた部材を見つからないとアトリエ中探す始末。そういうことで張っていた気が抜けるというより、ずれた感じで以外と元に戻すのに時間がかかる。もうひとふんばり。

そう、ラジオの永六輔の番組にむのたけじさんが出ていた。97歳、近頃の若い者はなどとは言わない、今の若い人には希望が持てると言い切る。むのたけじさんの本は前にも紹介したが、震災後「希望は絶望のど真ん中に」が岩波新書で出ている。

それから、飯塚事件の死刑囚久間三千年さんのDNA再鑑定を裁判所が弁護団に認めたというニュースがあった。菅谷さんの事件と同じ頃で証拠がやはりDNA鑑定によるというもので、冤罪事件といわれながら足利事件が注目されていた4年前に死刑が執行されてしまった。なんとか再審にたどり着ければと願う。

3日の死刑執行をめぐって2012/08/15

前の記事を途中まで書いたところで九州に飛んだのだけれど、その日3日の朝、服部純也死刑囚(40)と松村恭造死刑囚(31)の刑が執行された。

執行を決した滝実法相は「調書の中身を確認し、冤罪(えんざい)の恐れや微妙な問題のない死刑囚に絞った」という。3月に3名の死刑を執行した小川敏夫元法相も再審請求中の死刑囚は見合わせた(この表現もどうかと思うが)と言った。これまでもいわれてはいたが、法相自らが臆面もなく会見で語るようになってしまった。冤罪の可能性が少なからずあることを明白に認めているのだ。

この言葉は、彼らが常に言っている法の元に粛々と職責を全うするという姿勢に予断が入り込むことを認めたことになる。その前提として再審があるということだ。それならさっさと再審をすることが職務ではないか。

死刑制度についていろいろ書いているとよくこんなコメントをいただく。

「死刑執行。これは刑事訴訟法に則っているからにして、法律に基づいているだけである。在任中に死刑の執行はしないと言った法務大臣は、法律に反しているのであって、法律を法務大臣が破ると言う事であり、その時点で法務大臣としての資格は無い! 」

そう、法に従えば判決確定から6ヶ月以内の執行です。ではなぜ130名を超える死刑囚が、しかも長いものでは40年以上も、拘留期間を入れれば50年以上も獄中にいるのか。それは何かの見えない力が働いているとしか言いようがない。再審が相変わらずの狭き門だということもある。

日本国憲法は第36条で残虐な刑罰を禁じている。死刑制度を違憲と考えればそれにしたがわなくてもよいとも解釈できる。1989年には国連で死刑廃止条約が採択されているし、2007年国連総会本会議では、104カ国の賛成によって歴史的な死刑執行停止決議が採択された。厳しい死刑停止勧告も受けている。

そのためか法務省内で死刑制度の勉強会や、有識者による議論を進めようとした大臣もいたが、いずれも立ち消えてしまった。現在は死刑停止ではないが、滝実法相ら政務三役が、絞首刑を別の方法に変えるかどうかの検討を進めているという。

つまるところ日本の死刑制度の現実が法制上の整合性も持ち得ないほど矛盾を抱えているということだろう。ならば法を変えなければならない。まず死刑執行を凍結。いいかげんな調査で国民は死刑制度を支持しているなどといわず、国際的な死刑廃止の方向や背景をきちんと示し議論すべきだろう。また再審開始の判断はすみやかに、疑わしきは救済されねばならない。

「死刑囚再審特例法」制定に向けて2012/08/13



 ゴビンダ・マイナリさんの再審が確実になったようだ。なによりのことだが、拘留期間を含めておよそ15年。長すぎる。一審は無罪だった。刑事事件において下級審で無罪の場合は本来検察側は控訴するべきではない。

 2010年3月の足利事件、2011年5月の布川事件と再審無罪が続き、今年は名張毒ぶどう酒事件も再審確実と期待したが棄却。現在特別抗告中だ。足利、布川の両事件は無期懲役である。やはり死刑判決に対する再審のハードルは高い。もし冤罪であったとしたら死刑判決の方がずっと権力の罪は重いのだが。

 6月25日、死刑廃止を訴え続けた元最高裁判事の団藤重光さんが亡くなった。
98歳。再審請求でも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判原則を再審請求にも適用するとした75年の「白鳥決定」にも関与した。6年前上智大学での死刑廃止セミナーであいさつをされた。実に凛としたお姿だった。 その白鳥決定の後、財田川事件、免田事件などの死刑判決が再審無罪となっている。

 さかのぼる1968年神近市子衆議院議員らによって死刑確定者再審特例法案が国会に上程された。占領下、旧刑法下の死刑判決裁判の再審救済を求めたものである。これは自民党の反対で恩赦を進めるということで廃案になる。しかし恩赦されたのは一部の事件に限り、財田川事件、免田事件については白鳥決定後の再審による無罪判決を待たねばならなかった。それに対し福岡事件について司法は白鳥決定の28日後1975年6月17日石井健二郎死刑囚に恩赦、西武雄死刑囚を恩赦却下、即日絞首刑という異常な、誰が考えても不合理な判断をした。

 2005年弁護士、法学者、学生等の新たな支援を得て西死刑囚刑死後の第6次再審請求を行うが、2009年請求棄却、特別抗告も棄却された。この経過をふまえ、今回「死刑囚再審特例法」制定を改めて求めるのは、既に関係者のほとんどが物故者となり忘れ去られる前に、きちんと「戦時刑事司法」体制を問い直し冤罪被害者に名誉と人権を、司法に信頼を取り戻すためである。

 署名用紙、クリックして拡大、右クリックからダウンロードしてください。
再審特例法署名

 8月21日からは福岡で古川泰龍師の回顧展が開かれます。



3月だけれどまた死刑が執行されてしまった2012/04/17

公開された刑場

3月29日「私は職責を果たすべきと考え、死刑を執行した」こう言って小川敏夫法相は3名の死刑囚の刑を執行したことを発表した。その会見に自分が3人の命を奪ったのだという何の重みも感じられない。背筋が寒くなる。

まるで震災から1年の経過を待っていたかのようなこの時期に、言うに事欠いて「犯罪に対してどのような刑罰で臨むかは、国民が決めること」「内閣府の調査でも多くの国民が死刑を支持している」などと国民にげたを預けて、死刑制度への議論や、国際的な異論などどこにもないかのごとくである。

死刑制度への疑問を呈すると、最近必ず出てくるのが「被害者遺族のことは考えているのか」というような言葉だ。

これについて語った森達也さんの「リアル共同幻想論」から2編をリンクしておく。

“殺された被害者の人権はどうなる?”このフレーズには決定的な錯誤がある

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい

故西武雄死刑囚獄中句碑2011/12/04


西武雄句碑

4ヶ月ぶりに熊本。福岡事件再審運動50年のくぎりに生命山シュバイツアー寺で石碑を建てようということで少しお手伝いした。

前にも紹介した西武雄死刑囚の獄中句「叫びたし寒満月の割れるほど」が彫られている。この文字は再審運動で首にかけ街頭を歩いたカンパ箱に故古川泰龍師が書かれたものから起こした。知り合いの熊本の石屋さんにお願いしてやっと2日に建て込み、4日除幕式が行われた。

西武雄句碑熊日記事

既に直接の関係者がほとんど故人となってしまった現在、1968年に国会に上程されながら廃案となった「死刑囚再審特例法案」を改めて実現しようと新たな一歩を踏み出している。

あぁ、殺されちゃった2011/10/22

カダフィが追い詰められ殺されてしまった。捕らえられた時点では生きていたようだが。生々しい映像には「生かしておけ」という声が聞こえるが何がカダフィの命を奪ったのかはわからない。

同じようなことは歴史上いくらでもあるし、戦争や内乱でゆえなく殺された人はそれこそ数え切れないのだけれど、非道の独裁者を殺して歓声を上げて喜ぶというのは、その気持ちがわかるにしてもざらっとした気分がしこりのように残る。オサマ ビン ラディンが殺されて喜ぶアメリカ人たちを見た時はもっといやな感じだった。聞いた話では9.11の現場であるニューヨークの住民たちは冷ややかにそれを受け止めていたそうだ。あんなむちゃくちゃな話はないがアメリカを断罪すべきだという声はあまり聞こえない。

死刑というのは裁判で一応もっともらしい理屈をつけて裁可されるのだけれど、その犯罪はだいたい殺人、それも複数の人命を奪ったというのが条件だったりする(刑法では他にも死刑になる犯罪があるが)。それはいかなる理由があろうとも人を殺めてはならないということを前提としているが、その過ちを犯した人間は殺めてもよいというのが死刑制度だ。

これって矛盾してるよね。死刑存置論者には答えてほしい。なぜ人を殺めてもよいのか。なぜ法務大臣はひとを殺せるのか。

思う人。辺見 庸さんの講演2011/10/10

今日は世界死刑廃止デーだそうだ。8日に神楽坂で開かれた「響かせあおう 死刑廃止の声」という記念集会に行って来た。辺見庸さんの講演を聞いた。定員400人ということだったが入りきらずにロビーやラウンジでディスプレーで見た人も多かったようだ。

「死刑はそれでも必要なのか──3.11の奈落から考える」 辺見庸さんは少し足を引きずるように登壇されたが、およそ1時間40分あまり、その声は集まったすべての人にもれなく言葉が届くように静かだが力強かった。

自らのブログにこの3.11後の初めての講演にあたって 「黙示録的な地震と大津波、原発炉心溶融という惨禍のただなかから、この国が保持しつづける死刑制度の本質と非人道性をあらためて問いなおします。あわせて、3.11とはいったい何だったのか、世界史上どのようなメルクマールなのか、恐慌下の現在と近未来になにが立ち現れようとしているのか・・・を語り、ことば・思想・階級間の死闘のゆくえについて考察します。」と書かれている。

何とか私のとぎれとぎれのメモから講演要旨を書き起こそうと思ったけれど、とても生の言葉には届きそうもなく私の余計な解釈が入るのはなお問題が多いので、ここはずるをしてリンクをひとつ。

yosimineさんの「治療・病状日誌-世界死刑廃止デー企画 響かせあおう死刑廃止の声 2011」→http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-1107.html  

この記事を読んでいただければ何も付け加えることはない。それにしても辺見庸という人の思索の深さを思う。小説家とか思想家とか批評家というのではない、一番近いのは詩人だろうか。講演の中のエピソードにある身を貫く「思え(想え)」という言葉、そこにとどまるということ、思う人と呼ぶのがふさわしいのかも知れない。

3.11以前の日常を取り戻したいというのは特に被災者にとっては切実なものだろう。しかし為政者や経済界は、まるで3.11をできればなかったことにでもしたいという意思がありありとしている。あるいはこの非常時を利用して、これまで踏み込めなかったところに踏み出そうとしているように見える。たとえば原発(核技術)が抑止力になっているなどという言説がほとんど批判にさらされることなくスルーされ、一方で秘密保全法制などという情報公開を恣意的にコントロール、漏洩者には厳罰を科すような法制が上程されようとしている。「がんばれ日本」「日本はひとつ」などという「言葉」の向こう側で「すり足で 下りてくるものがある」。

その病理は革新も反原発も死刑反対も関係ない。私は先の反原発のデモの際に10歳にも満たない女の子が「わたしもこどもを生みたい」というプラカードをかかげていたという話を聞いた。おそらく親が誘導して書かせたものだろうが、それがたぶん福島というだけで産物や車両を拒絶する過剰反応や、広島、長崎の被爆者、ハンセン病、水俣病、また障害者への差別の構造に通底するものだとは親は露とも思っていないのだろう。

元の記事が見つからないのだが、ベラルーシだったろうかある病院で先天的な異常や障害を持つ子どもたちを見て取材者が言葉を失っていると、そこの医師がこう言ったそうだ。「どうかこの子達を祝福してあげてください」。生への無条件の肯定こそが今必要なのではないか。

福岡事件再審運動50周年 キャンペーン2011/05/24

今日布川事件の再審に無罪判決が出た。杉山卓男さん、桜井昌司さんの奪われた44年間を権力はどうやって償うのか。

終戦直後、旧刑法下で始めての死刑判決が下された福岡事件については何度か取り上げてきた。故古川泰龍師が教戒師としてこの死刑囚、西武雄さん、石井健治郎さんに出会い、冤罪を確信してすべてをなげうって助命運動を始めてから50年。事件からは64年の歳月が流れた。その間の再審請求は6度に及ぶ。(右カテゴリーの死刑制度参照)

私も泰龍師に出会って40余年、熊本県玉名市のまだ十返館と呼ばれていたころから休みにはよくシュバイツアー寺に寝泊りして托鉢に同道したり、東京での活動をお手伝いしたりした。

1975年西さんへの死刑執行、石井さんへの恩赦という誰も思いもしなかった権力の答え。死刑執行後の再審請求。2000年に泰龍師が亡くなり、石井さんも死去、泰龍師を支え続けた妻美智子さんも昨年92歳で亡くなった。今この運動を受け継ぐのは残された家族たちと古くからの支援者と若い学生たちだ。

福岡事件再審運動50年キャンペーン「私はわらじがぬがれない」が既に開始されている。ブログ→http://blog.goo.ne.jp/fukuoka_2011 紹介記事→http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001105190003 これからは他の再審運動、冤罪問題、死刑廃止運動と連携も必要だろう。くしくも福岡事件再審運動を近年サポートしてきたアムネスティも創立50周年である→http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3906